トップページ 特集 田端義夫追悼特集 最後のディレクター小松永枝氏が語る 素顔のバタヤン

田端義夫追悼特集 最後のディレクター小松永枝氏が語る 素顔のバタヤン

歌謡曲リミテッド スペシャルインタビュー

田端義夫追悼特集
最後のディレクター小松永枝氏が語る
素顔のバタヤン

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インタビュー・文/鈴木啓之=アーカイヴァー、竹部吉晃 公開日:2013.06.28

今年4月に94年の生涯に幕を閉じたバタヤンこと田端義夫。
戦前・戦中・戦後・平成という4つの激動の時代を現役歌手として歌い続けた活動歴は、
日本歌謡史の至宝というべき偉大な足跡だ。
その長く曲がりくねった波乱万丈の半生は、まるで遺言のように残されたドキュメント映画「オース!バタヤン」に詳しいが、ここではテイチクで最後のディレクターを務めた小松永枝氏に話を聞き、小松氏の目から見た素顔のバタヤンと魅力、そして知られざる秘話を紹介する。
このたび本サイト、歌謡曲リミテッドでは、田端義夫を追悼するフリータブロイド紙を企画編集。このインタビューはその際に行った取材インタビューを再構成したものです。

--最後のディレクターである小松さんが田端さんをご担当されたのはいつ頃からですか。

小松:平成6年から。ちょうど7月に「月の夜曲」というシングルを出したタイミングです。その頃、私は宣伝部に移ったばかりで、田端義夫さんという大御所がいるので挨拶に行こうと言われ、お仕事をされていたラジオ局に伺ったんです。ご挨拶をして帰ろうとしたら「ええ歌があるんや!」と言って引き止められて、「月の夜曲」のことかなと思っていたら、その次にリリース予定の「昭和三代記」のことだったんです。

--初対面から田端さんの音楽への情熱を受け止めることになったんですね。

小松:「昭和三代記」はその年の11月にリリースされることが決定し、私が宣伝を担当することになりました。久々に全国を回ろうということで、いわゆる昔ながらの「みかん箱キャンペーン」をやったんです。当時、御大は75歳くらいだったと思うんですが、北海道から九州まで日本全国のレコード店の店頭で歌わせていただきました。

--かなりきついキャンペーンだったのではないですか。

小松:各地ともお客さんの多さが半端ではないんです。大阪の商店街で歌ったときは、お客さんが多すぎて収拾つかないだろうからって、通りのお店が臨時休業にしたくらいでした。

--特に関西では絶大な人気だったそうですね。

小松:行く先々に軍服を着た傷痍軍人がいて、後ろのほうで御大の歌を聞いているんです。しかも、御大のほうに一度も視線を向けず、ずっと下向いたまま泣いている。それを見たとき、改めて御大のことを「スター性が違う!」って思って、改めて尊敬しました。

--田端さんの放つスターオーラは飛び切りのものだったんですね。

小松:直接お会いするまでは、失礼ながら懐メロの人という意識もあったんですが、「そうじゃない! バリバリの現役だ」ってことを見せ付けられました。格好だけじゃなく、自分でギターを弾きながら歌っているところも凄かったですし。本当のスターでした。

--歌っている所を見て、改めて気付かされたんですね。

小松:とはいいましても、普段話していることの8割がたは艶話なんですけど(笑)。御大は肩書きとか全然関係ないんです。偉かろうがそうでなかろうが、全く気にしない人でした。

--75歳で全国キャンペーンはさぞかし大変かと思われますが。

小松:自分が良いと思う歌を売りたいという執念が凄かったです。だから「よっしゃ、やるぞ」と、気合も入りまくっていました。1日で2~4軒を回ってお客さんの前で歌を歌い、その間、たくさんの取材を受けて、さらに商品へサインを入れなきゃいけないという超過密スケジュールをこなすんです。

--文句ひとつおっしゃらないんですか。

小松:なかったです。曲を売ることに対する情熱が凄いんです。楽屋で艶話をするのも、場を盛り上げる意図があったんだと思います。どんなにセクハラまがいのことを言ってもカラっとしているから、笑ってしまう(笑)。その辺りのバランス感覚も絶妙でした。

--旅先での田端さんはどうやって時間を過ごしていたんですか。

小松:基本何もしません。横になっているか、弁当を食べているか(笑)。イメージと違って、ギャンブルをするわけでもないし、お酒もそんなに飲みません。豪快なイメージはあっても、実際は真面目人でした。

--ラスベガスでのエピソードが有名すぎて、派手好みの方とばかり思っていました。

小松:意外といえば、よくファンの方が楽屋に訪ねてきますが、御大はまったく気にしないんです。サイン色紙を持ってやってきたお婆ちゃんの横で、平気で横になっていましたから。大阪の中座とか松竹座の楽屋でもそうなんですが、毎年どこの誰だかが分からない人がいるんです(笑)。

--そういうファンの人たちを気にされないんですか。

小松:物忘れがひどいってこともあったんでしょうが……(笑)。御大はどんな偉い人でも、ころっと忘れちゃうんです。うちの会社の社長や部長に会っても「あんた誰やったかいな?」って平気で聞いていましたから(笑)。

--「昭和三代記」のような曲を見つけられるアンテナは、常に張り巡らしていらっしゃったんですか。

小松:「スカっとするヒットをとばしたいな」っていうことはしょっちゅう言っていました。新しい歌を見つけたい、作りたいということを常に考えている人でした。「いま、若者はどんな歌を聞いているんだ?」っていうことも気にしていましたから。

--完璧に現役の歌手だったんですね。

小松:よく新人の子たちに言っていたのが「あなたの頭のてっぺんからつま先まで、二つと同じものはないんだから自信を持ちなさい。天狗になるのは良くないが、人の意見に左右されることなく頑張りなさい」って。「歌は好き好き」ともよく言っていました。「あそこを歩いている人が、俺のファンとは限らない」と。だから、目先のことで腐ったり落ち込んだりすることもなく、非常に前向きな感じでした。

--自分というものをしっかり持ちながら、ヒットを出すという意欲は常に燃やしてらっしゃったんですね。

小松:常に一線でいたいという気持ちはあったでしょう。そして、大衆のバタヤンっていう気持ちを持ち続けていたと思います。最後に「昭和三代記」で演歌チャートの上位に食い込んで、意地を見せました。現状に甘んじない姿勢、諦めない気持ちは、歌に対する執念だったしょうね。レコーディングへの臨み方も、他の歌手とは全然違っていて、すごく勉強しているというか、必ずメロディの譜面を事前に書いてきて、そこに歌詞を振っていました。1番2番3番、みんな譜割りが違うんですよ。BEGINの「涙そうそう」をレコーディングしたときもそうだったんですが、メロディに歌詞を全部当て振っていて、そこにどんどん印を付けていくんです。「1番の歌い方と2番の歌い方は違うから、同じようには歌わない」と。

--体調管理にも気を付けてらっしゃったんでしょうか。

小松:御大から「声が出なくなった」って言われたことがないんです。風邪をひいて多少ガラガラ声になることはありましたけど、舞台を休むことはありませんでした。天性のものだったと思います。生まれついてのノドの強さもあるでしょうし、若いときには橋下発声法といって河原でずっと声を出して鍛えていたって言いますから。あと、よく言っていたのが、「自分は喋っている声と歌っている声が一緒だ」と。作った声じゃないんです。「自分は自然体で歌う」と、ずっと言っていました。

--あまり苦労を表に出されなかったようですけど、そばに付いていて御苦労されているなと感じたことはありませんか。

小松:私たちはすぐに忘れてしまうんですけど、御大は若いときに右目を失明しているんですよね。そのせいで兵隊に取られなかったとのことですが、やはりずっと気に病まれたと思います。そういったハンデがありながら、長年に渡ってギターを弾きながら歌ってこられたことは、偉業じゃないでしょうか。

--その後は特にご病気されることは無かったんですか。

小松:60歳くらいのときにヘルペスの手術をして、下半身マヒの状態になったことがありました。後遺症が残っていたようで、私たちには「365日24時間ずっと痛い」と言っていました。さぞかし辛かっただろうなと思いますが、お客さんには一切そういったところを見せませんでした。

--田端さんのレコーディングについては、いかがでしたか。毎回スムーズだったんでしょうか。

小松:納得のいかないところがあると、もう一回、もう一回って長引きました。歌に対しては、真摯に取り組むというか、プロ中のプロでした。

--周りのスタッフの意見についてはいかがでしたか。

小松:それは素直に聞いていました。人の意見は聞く人でした。他人のカバーをたくさんやったんですが、そういうときでもオリジナルを真似することなく、自分なりに昇華して歌っていました。たまに、昔の歌をカバーして歌うときには「あの人の歌だから、あの人には勝てないよ」と言っていました。それを認めるのも凄いなと思います。

--ベテランになればなるほど、なかなか言えないことですね。「涙そうそう」をカバーされたときは、大きな話題になりました。

小松:BEGINとは、その前の「旅の終わりに聞く歌は」で、(比嘉)栄昇さんが詞曲を提供してくださって、それから御縁がありまして。そのころアルバムの方では、結構いい成績を上げた「島唄」の第二弾を作ろうと話になっていました。その収録曲のひとつとして「涙そうそう」が歌われることになり、後々シングルカットもされました。BEGINのメンバーは昔から田端ファンだったそうで、レコーディングでは恐縮してしまって、あまり言葉が出なかった。その雰囲気を察して御大が「何でも言うてや!」って言って、気さくに声をかけていました。

--それは田端さんならではの優しさですね。

小松:そんな御大も実は緊張していたみたいで……。あの歌のPVは私が撮影していたんですが、そこへ娘さんが事務所用の映像を撮るためにビデオを持って現れたら「どっちか出て行ってくれんか」って言っていました。普段はそんなこと、めったに言わない人なんですが。

--それまでにも沖縄や奄美の歌を歌ってきた田端さんが、「涙そうそう」を歌うのは、必然のように思いました。

小松:シングルに入れ直したときには、どうしても声を残しておきたいなと思ったんです。それで歌と一緒にコメントも収録したんです。あのときから、いろんなことを喋らせておきたいなと思うようになり、折に触れて好きなことを喋ってもらって、レコーディングに生かしました。

オース!バタヤン

映画『オース!バタヤン』

配給 アルタミラピクチャーズ 公式サイト:www.batayan.jp
時間:95分
監督:田村孟太雲
現在絶賛公開中!!

上映館情報はこちらまで

昭和に青春時代を過ごした人間ならば、バタヤンこと田端義夫を知らぬ者はいないだろう。愛用のエレキ・ギターを胸の高い位置に抱えながら「オース!」と挨拶する姿でお馴染み。戦前~戦後を通じ、多くのヒット曲を世に送り出して大衆に親しまれた大スターを追ったドキュメンタリー映画が『オース!バタヤン』(監督・田村孟太雲)である。

製作はこれまでにも、ザ・ゴールデン・カップス、遠藤賢司、高田渡、こまどり姉妹などの音楽ドキュメンタリー作品を送り出してきたアルタミラピクチャーズ。映画は2006年に母校である大阪・鶴橋の小学校で催されたコンサート映像を軸に展開される。80代後半とは思えぬ澱みない喋りと歌、何よりその現役感に驚かされる。司会を務める浜村淳の軽妙な仕切りも見どころだ。次々と登場する証言者の顔ぶれは、菅原都々子、白木みのる、寺内タケシ、千昌夫、小室等、内田勘太郎(元・憂歌団)ら多種多彩。立川談志や山城新伍ら、今は亡き面々も田端への思いを熱く語っている。誰よりも温かな愛情を寄せる妻と娘のコメントも。大好きな女性と共に生涯の伴侶で在り続けたギターにもスポットが当てられる。

戦中にエボナイトの板をギターの形に切って作ったという手製の電気ギターに始まり、昭和28年に出会った米ナショナルギターはボロボロになりながらも愛用され、ずっと田端のトレードマークだった。正しく日本におけるエレキ・ギターのレジェンドである。「大利根月夜」や「かえり船」などの大ヒット曲はもちろんのこと、氏のダンディズムは、ステージで「モナ・リザ」を英語で歌うシーンに象徴される。意外にも演歌嫌いだった由。女性が大好きで生涯4度の結婚を重ねたという、大正生まれの伊達男の粋とカッコよさが存分に描かれているところが、この映画の最大の醍醐味といえよう。無類に魅力的な人物の人生模様が活写された音楽ドキュメンタリーの傑作が誕生した。(鈴木啓之=アーカイヴァー)

--映画「オース!バタヤン」はとても素晴らしい内容でした。

小松:あの映画を撮っていただいて、本当に感謝していますし、そこまで時間をかけて作っていただいたのも本当に有り難いと思います。まさか、あんな形になるとは思ってもいなかったので。

--田端さん御本人は完成作品をご覧になれたんでしょうか。

小松:病院でDVDを見たということです。映画が無事出来上がったのを確認して、旅立っていったかのようです。

--非常に劇的ですね。もしご存命だったら、こうした盛り上がりをどう思われたんでしょうか。

小松:たぶん「こんな映画が出来たら、またもてるやないか!」って言ったと思います(笑)。入院中でも冗談ばかりでしたから。私が顔を出すと「今日はまたとびっきりベッピンやな」。帰るときには「わしを置いて帰るんか!」なんて言って和ませてくれました。

--映画を拝見しても、田端さんと他の人との会話のやり取りが絶妙で、つい笑ってしまいました。一般的に大御所と言うと、どこか近寄りがたい雰囲気があるものですが、作中で描かれているように、田端さんは全くそうではないんですね。

小松:最初に会ったときから驚かされたことがあって、移動の際の車はマネージャーさんが運転するんですが、御大は必ず助手席に乗るんです。たまに我々も同乗させてもらったときも、私たちが後ろで偉そうにしているんです(笑)。私も含めてうちのスタッフ全員、御大のこと大好きでした。そういう親しみやすいキャラクターなので、大阪へ仕事で行ってタクシーに乗っても、いつも同じ運転手が必ずいるんです。やっぱり人望だと思いますね。

(次ページへ続く)

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